そしてまた船は動き出す

下書きにつっこんで公開するの忘れていたのでものすごく今更。

 

2018年4月20日KAT-TUN LIVE 2018 UNIONへ行ってきました。

普段レポすらしないような人間なのですが、中丸くんが日記を書けと言ったのでジャニヲタらしくはてなブログへ登録し、こうして筆を執っています。

文章力がゴミカスできちんとしたレポとか全くできないのでそういうの端折ります。難しいことはわかりません。勢いで生きているヲタクの自分語りです。

 

 KAT-TUNのヲタクになって14年、それは亀梨和也というアイドルに魅了されて過ごしてきた私の時間です。長かったようで、あっという間で、それでもやっぱり長い月日だなあと思います。

 

 

 少し前の話をします。

 

 2015年11月24日。私はその日テレビの電源を落としました。

 仕事終わりにダッシュで帰りついてコートもマフラーもそのままテレビの電源を入れて「まだKAT-TUN出てない!セーフ!」とかツイートしてました。浮かれポンチ。

しかしまあ、ご存じの通りそれからすぐにあの発表があって、何が何だか受け入れられないまま涙が溢れていて、気づいたらKAT-TUNのパフォーマンスが終わって、なんだかよくわからないけどこれ以上テレビを見ていられなくてテレビの電源も部屋の電気も消してひたすら泣きました。

人間ってすごいなあと思うんですけど、呆然として全然聞いてなかったつもりでも本当はちゃんと聞いてるんですよね。田口くんの言葉も、櫻井くんの言葉も、亀梨くんの表情もパフォーマンスもなにもかもちゃんと見てたし覚えてて、頭の中で何度も再生されるんですよ。

 

 田口坦の人すみません。本当に何度も田口くんのことを罵りました。嘘つき。また亀梨くんたちに悲しい思いをさせて最低、って。そして暗い部屋でぐっちゃぐちゃの顔で「いっそ解散してくれ」って叫びました。三人になったKAT-TUNは、半分になったKAT-TUNは、もうそんなのKAT-TUNじゃない。そんなの見たくない。私が信じてきたのはなんだったんだ、そんなことも言いました。悲しくて悔しくて堪らなかった。大袈裟だけど絶望って言葉を実感しました。三回目が一番きつい。

 

 脱退までの日々もあまりKAT-TUNに向き合うことができませんでした。今思うとめちゃくちゃもったいなくて、きちんと送り出してやればよかったのにと思いますが当時はそんな余裕はなく、ただただ残された日々を消化するように過ごしてその日を迎えました。あんなにカレンダーを見るのが辛かった日々は後にも先にもないと思います。

 

 充電期間に入るという選択も正直よくわかってなくて、それでも亀梨くんと上田くんと中丸くんが選んだものならば受け入れるしかなくて。

東京ドームで迎えた10Ks!で三人から直接言葉を聞いて、初めて「ああ、これって前向きなことなんだ」と捉えることができました。みんなが言うんだから大丈夫、信じていけばなんとかなる。これは終わりのライブじゃない。だって三人でもめちゃくちゃかっこいいんだもんよ~~~。なんにも心配することなかった。死ぬほど寂しかったけど!!

 

 充電期間も活動再開した今振り返ると、本当に充実した期間だったと思います。メンバーそれぞれたくさん仕事をいただいて、自担の亀梨くんはソロコンに24時間テレビに亀と山Pその他もろもろ。充電期間って活動休止期間とは全く意味が違うんだなと思いました。本当に充電。来るべき時のためにエネルギーを溜め込む期間だった。

 そりゃあ新曲がでないことや大型音楽番組にKAT-TUNがいないこと、三人一緒にカメラの前に立つことがないことはつらかったし寂しかったです。ベスアはトラウマ。脱退ドッキリは許さねえからな。

他所のグループのライブに行くたびに思うのはKAT-TUNのコンサートに行きたい!だったしライブ円盤見るたびにKAT-TUNのコンサートに行きたい!ってなるし東京ドームを見るたびにKAT-TUNのコンサートに思いを馳せる、そんな2年間でした。

 

 

 前置きが長くなってすみません。

 

 元旦、訳あって明治座で年越しが終わった後、ツイッターKAT-TUN再始動の文字を見て会場の外で号泣しました。介護してくれた友人ありがとう。

帰宅してKAT-TUNのパフォーマンスを見て、帰ってきたんだと思いました。充電前と何ひとつ変わらない「KAT-TUN」というブランドのまま、他のジャニーズグループもたくさんいるあの東京ドームを我が庭のように歩いて歌う姿。ハイフン集合ー!とエースに呼びかけられて涙が止まらなかった。

 

 そんな召集があった元旦から早4ヶ月。先だと思っていたUNION初日を迎えました。会社には日程が発表された日に有休申請したし、グッズは木曜に滑り込みで買っていたので準備は完璧。

4月と言うのに夏日なんていうアホみたいな気温の中、この日の為に買った黒いスカジャンを着てドームに向かいました。クソ暑かった。ちなみに予定ではニットで行くつもりだったからブラウスも急遽前日に買った。

会場で見渡してもみんなガッツリ強そうなメイクをして気合十分フル装備。とにかく黒かった。KAT-TUNのヲタクは何と闘ってるのかは正直私にもわからないけど、黒い女たちに安心感はあった。武器(ペンラ)も持ってるしね。ていうかペンラデカかった。さすが中丸くんが「持ちにくくてしゃーないでしょ」って言うだけのことはある。

 

 実はコンサートが始まるまで緊張してたんですけど、いざ始まってみたらそんな不安なんて微塵も必要がないくらい、そこには私が思い描いていた通りのKAT-TUNの姿がありました。

何度目かの海賊船も、雷雨で始まるコンサートも、突然の歌詞に疑問もなく歌うヲタクも、燃えるステージも、好きになった時から変わらないかっこいいKAT-TUNも。布に布を重ねた衣装!思わず悲鳴を上げて飛び跳ねて喜んだシクセンとRush!クラップして手が痛かったけど楽しかった!

二度とライブで見ることはないと思ってたI LIKE ITを見ながら死ぬほど見た海賊帆を思い出して少し胸がぎゅっとなったけど三人になってもあの頃よりもずっと良いパフォーマンスだった。

 

 個人的に大好きな曲のひとつ、polaris。満天の星空の下、星明りで煌く海のようなペンライト、上田くんのピアノと中丸くんのボイパ、そして亀梨くんのアカペラ。本当に贅沢で美しい時間でした。

上田くんのピアノが走っちゃっても中丸くんのボイバと亀梨くんの歌でバランスをとって。それがなんだかKAT-TUNそのものみたいだなあって。完璧ではないけれど美しくて、バランスがいいわけではないけど心地よい。あの美しい時間はずっと胸の中に大事にしまっておこう、そう思いました。

 

 相変わらずMCは男子小学生みたいでしょうもなくて長くて楽しくて可愛くて、タメ旅復活もめちゃくちゃ嬉しかった。天の声~!久しぶり~!もちろん台湾に全力で拍手した。アワビも登録したよ。

 

 二年のブランクがあっても景気よく東京ドーム燃やしてくれて最高にテンション上がった。やはりドームは燃やしてナンボだよ。花火はファンサ!!!

私は特効のヲタクなので天井席から見たレーザー演出が余りに綺麗でかっこよくて、全然泣くとこじゃないIn Factで涙が出てやばかった。変な人だった。……本当はちょっと物足りなかったけど(欲を言うと水が欲しかった)アスユアの花火大会は最高でした。

 

 最後の最後、Sweet Birthday。ピンクのハートにシャボン玉が浮かぶような映像を背負って羽根が舞う中軽やかにステップをするKAT-TUN

この光景は2年前までは絶対に見れなかったなあって涙でにじむ視界で思いました。あんな爽やかでキュートで愛に溢れている最後、KAT-TUNからの愛してるよって気持ちがたくさん込められているみたいで。幸福感で胸がいっぱいになって世界中の誰よりも幸せだと思えるような瞬間。

 上田くんも亀梨くんもしきりに私たちが笑顔であることを確認していました。

何度も何度も「笑って帰ってほしい」と。そんなの私たちだってKAT-TUNのみんなが笑顔であることが一番幸せで2年間待ち望んでいた姿で。

だからこそ会場のみんなが幸せそうに笑っていて、それでKAT-TUNのみんなも幸せそうに笑っている。本当に夢のような時間でした。私の信じたものは何も変わってなくて、大好きだったKAT-TUNのことをもっともっと好きになれた。

 

KAT-TUNのことが好きでよかった!!!大好き!!!!

 

というのを4月にあげる予定でした。

本当に自分語りだけのブログになってしまった。文才がないからしょうがない。

それではまた。